蕾傳の露地

露地とは茶室への入り口をかねた庭園の通称です。千利休の時代には更に茶室の建築が盛んとなり、当時の数寄たち達はこぞって建築の創意工夫をしていた時期でした。いわゆる利休風の茶室もこうした状況で熟成されたものです。
露地には樹木等は里にある木も植えず人工を避け、できるだけ自然に山の趣を出すため、庭の骨組みをつくるのは飛石と手水鉢(ちょうずばち)です。茶室の構造は敷地の広い寺院や武家屋敷にも採り入れられるようになり、中潜り(なかくぐり)や腰掛待合と蹲踞(つくばい)を備えた現在の茶席に見るような様式化した茶庭が成立していきます。
こうして町衆の人々に育まれた茶の湯や茶庭はやがて、利休の弟子で武家茶道を発達させた古田織部や小堀遠州のような武将の手に移るころには、かなり内容が変化します。

三大茶人 こだわりの露地

織部や遠州の茶や庭園は利休に比べると作意が強いといわれています。利休が作意をも自然らしさの中に含みこもうとしたのに対し、織部の鑑賞を重視した茶庭には作意が表面に押し出され、飛石や畳石を打つときは大ぶりなもの、自然にあまり見られない異風なものを探し求めたとされています。
露地にあっても作意の溢れた自身が考案したと伝えられる「織部灯篭」を蹲踞の鉢明かりとして据えるなど趣をこらしています。織部の弟子・小堀遠州は作庭の名人として知られ、席中の花と庭園の花が重複することは興を削ぐとして禁止し、以後の茶道界の大部分で、慣習となっています。

六方石
溶岩が冷却し、収縮する過程で柱状節理が生じてできた石。

広川青石
緑色から青みがかかった色が特徴。

佐久鉄平石
グレー緑系、ピンク赤系の色幅で、色彩が美しいのが特徴的な石。

伊勢砂利
伊勢の河原で採取されている砂利。渋い色味の茶系の色をしている。

茶仙
伊勢砂利より濃い色彩をした砂利で、形状も若干丸い為、少し柔らかい印象を与えます。

シアンブルー
屋外用の硬質石灰岩。表面はスムーズな割り肌で、ブルーをベースに少しグレーを帯びたスモーキーカラーが魅力。

捌

三光灯籠(さんこうとうろう)
まず三光(さんこう)とは、三光信仰に基づくもので、それぞれ「日(太陽)の神」「月の神」「星の神」を意味します。三光信仰に基づくものには「三光紋」や桂離宮にある「三光灯籠」などが挙げられます。雷傳の2階にある3つの高窓は、この三光をイメージしてつくられているのです。
三光灯籠

関守石
関守石とは、茶庭や露地の飛び石や延段の岐路に置かれる石で、止め石ともいいます。茶道の作法において、この石が置かれた場合、「これより中に入ることは遠慮されたし」の意味があります。ここから先への出入りを遠慮してもらうための印として関守のを持たせたため「関守石」と呼ばれます。
鍾馗(しょうき)さま

鍾馗(しょうき)さま
鍾馗(しょうき)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神様のことです。日本では、江戸時代末ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになった。京都市内の民家(京町家)など近畿〜中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に十〜二十センチ大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあります。
これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされています。
鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿です。
犬矢来(いぬやらい)

犬矢来(いぬやらい)
蕾傳の表通りに設置されているものを「犬矢来(いぬやらい)」と呼びます。京都の町家に多く見られます。ゆるやかな弧を描く垣根のことで、語源は犬や猫などの小動物が軒下によって尿をひっかけないようにするために置いたことからだと言われています。
柱や板塀の地中深くの部分は水が飛び散ることで腐食が早く進んでしますため、腐食を少しでも防ごうと考えて作られたのが「犬矢来」です。本来「矢来(やらい)」とは竹や丸太を粗く組み合わせた柵や垣としたもののことを言い、矢来は「遣らひ」の意味があり、「入るのを防ぐ」という意味合いを持つ言葉です。