建築とは、X.Y.Z軸をもった三次元空間であり、その立方体に光があたれば、必ず影が存在する。その影の存在は光を主役にし、その存在感をアピールするための重要なファクターでもある。ただひたすらに光があふれるのではなく、影によってその空間はよりドラマティックに演出されるであろう。日本人の光に対する感性について言えば、谷崎潤一郎の”陰翳礼讃”がもっとも適切に表現されている。例えば“白”への思い、特に透光不透視の日本と欧米での違いなどは、特に説得力がある。そして、建築で言えば安藤忠雄の”光の教会”である。そこに行くと、光とは影によって、どれほど感動的なものになり得るか実感するであろう。
今回、テラスや共用廊下などは吹き抜けを介して、光を効果的に演出している。光とは、昼間の太陽光だけでなく、人口光(夜の照明)も含まれる。そのすべてを光として捉え、影(闇)と対比させたのである。光と影の対比とは、白と黒の対比でもある。外壁の”純粋なる白”、そこに黒となる影を落とし、二元対比させることでドラマチックな空間が生まれたと思う。
光と影をうまく扱えることができれば、建築は感動を与えることができるものである。 |
人が時間を感じるということは、何かそれと共に変化する媒体を介して感じるという、相対的なものである。
例えば、その媒体は、光であったり風であったりする。
光は、その色・強さ・影・かたちなどによってその表情を変化させ、風はその一瞬に吹く方向、皮膚に伝わる感覚、一緒にはこんでくる匂いなどで時間、季節を感じさせてくれるものである。
光と風には必ず時間軸が存在している。建築は光と風の表情を時間と共に変えることで、場の展開(シークエンス)を与えてくれる。
建築とは、そのような空気感を独自の言語によって表現できる可能性がある。建築がそんな感動を与えてくれるかどうかは、どのようなシークエンス(場の連続、移りかわり)を生み出せるかということである。
それは、絵画や映像の世界では表現できない、三次元な建築のみが持つメッセージ(できること)であると思う。
人は移り変わる場面に時間を感じ、印象的な光や風の演出で、そして建築の立方体(ボリューム)を知る。 |