コンセプト

ただ、ただ、ただ…

コミニティと”余白”の意味

 まずは敷地を読んだ。3方の周囲にはマンションが建っていたが、それに包まれた感じに変えたいと思った。種を植えるように…。日本的な”庵(いおり)”にならず、ふんわりとあちこちへ漂う感じで…。アメーバのように外へ外へと有機的に繋がっていく感じで…。だが、共に住むことの運命がある。この運命を受け止めて、あらためてコミュニティについて考えてみる。
 たとえば、いわゆる長屋を想像させる江戸時代とかの、かなり昔の話。それは、生活することにコミュニティが必要だった時代であり、家の中に一歩入れば、プライバシー重視だったのだろうと想像できる。それで、コミュニティとプライバシーとのバランスをうまくとっていたのだ。

 エリック・サティの音楽のような、風景を作ろうと思った。もっと言うなら「ジムノぺティ」という曲のような、風景をつくろうと思った。無意識の中に入ってくる、あの音楽が心地いい。
 楽譜を見れば、”音符=♪”が少ないのは一目瞭然。でも、その♪と♪の間に存在する”余白。そこに私たちは想像力を発揮させられ、聴けば聴くほど心に深く響く。どこへ向かうのか、わからなくなってくる。それは物語の行間を読むのと同じ。いつの間にか無意識の世界へと引き込まれる。「音楽って想像力なのだ」と改めて気づく。そんな音楽を目指したサティの精神をもちながら…。

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