「蕾傳」茶の湯の精神を浸透させた三大茶人

2017年05月15日

日本における茶の湯は、鎌倉時代に日本臨済宗の開祖栄西が臨済禅とともに抹茶法を伝えたことに始まったとされ、茶を嗜む習慣と茶の製法は平安時代に遣唐使によってもたらされました。

中国製の茶器が唐物と呼ばれて重宝され、それを使った盛大な茶会が開かれるようになると、6代将軍足利義政の茶の師匠だった村田珠光が、主人と客との精神の交流を大切にする茶会のあり方を説き、これが茶の湯の源流となったと言われています。

そして安土桃山時代になると千利休が登場し、日常の中から自分の好みに合った道具を見出し茶を嗜む新しい茶の湯の概念「侘び茶」を大成させました。

戦国時代には織田信長や豊臣秀吉を始めとした武将たちがこぞって茶の湯に没頭し、貴重な茶道具を持つことがステータスになりました。こうして茶の湯は、天下人から大名、民衆へと広く普及していったのです。


【茶の湯の精神を日本に広め、浸透させていった代表的な三大茶人】

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千利休

戦国時代から安土桃山時代にかけて茶の湯の精神を受け継ぎ、新しい茶の湯の精神「侘び茶」を完成させた茶人です。
天下人・豊臣秀吉の側近という一面もあり、天下統一を果たした秀吉は利休を筆頭茶頭とし、織田信長から受け継いだ「御茶湯御政道」を推し進めました。
「利休七哲」に代表される数多くの弟子を持ち、茶の湯の大成者として名を残しました。


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古田織部

戦国時代から江戸時代初期にかけて織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将です。一般的には茶人・古田 織部として知られていますが、本当は「古田重然」という名前です。
「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正の官位に叙任されたことに由来しており、千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な創造性を好み、茶器製作・庭園作庭などに渡って「織部好み」と呼ばれる一大流行をもたらしました。


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小堀遠州

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家など数多くの肩書きを持っています。師・織部の後を継いで将軍家の茶道指南役を担った一方で、幕府の脳吏として一生を全うしました。
遠州の茶の湯は、利休の「侘び錆び」の精神をは対に、「綺麗さび」と表現され現代の茶室の形式は遠州の綺麗さびの茶室に近い造りになっています。

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