織部焼の名は、戦国時代の武将にして茶人でもあった古田織部に由来すると言われていますが、織部自身がどこまで織部焼の制作に関与していたかは実はわかっていません。
織部焼が焼かれたのは、桃山時代から江戸初期にかけての慶長年間後半のわずか三十年ほどに過ぎず、当時千利休の跡を継ぎ茶の湯の世界でリーダー的存在だったのが古田織部であり、織部が茶席で好んで使ったことから後世、その名で呼ばれるようになりました。
【 織部焼の種類 】
・青織部
多くの種類がある織部の中でも、銅緑釉をかけた「青織部」は代表的な種類です。器の一部に銅緑釉を掛け、掛けない部分には長石釉を掛け分け、長石釉の釉下に鬼板で絵を描かれた焼物です。
表面の具合で調子や色合を異にしている趣向に関しては、当時衣服の半身ずつを区切ってある着物は「片身替模様(かたみがわりもよう)」と呼ばれ人気があったので、織部にも取り入れられていました。
・総織部
銅緑の織部釉を器の全体にかけられたもので、そのため無文様のもの、あるいは釉下に線彫りで文様を加飾として透かし彫り、印花、貼り付けなどの工夫がされています。
器種としては皿類や鉢類が多く見られ、特に文様が描けない反面、器形に創意を凝らしているものが多いのも特徴です。
・赤織部
赤土をベースに、白泥で絵や縁取りを施したものが赤織部です。使用した粘土に鉄分が多く含まれているので、赤い色に焼き上がります。
鉄分の多い赤土を素地として、文様は白化粧土と鬼板の組み合わせで装飾されています。なかには織部釉が点景として少し流しかけられているものも存在します。
・鳴海織部
様々な種類がある織部の中でも、最も手が込んでいるのが鳴海織部です。鉄分のある赤い土と白い土を継ぎあわせて、赤い土の部分には白化粧で文様を描き、鬼板で線描し、白い土の部分に銅緑釉をかけて、緑の発色を際立たせています。白土と赤土では収縮率が異なるために、いかに接ぎ合わせるか重要となります。
釉薬、文様は青織部と同じ技法を用いているが、白、赤、青、鉄茶の四色で意匠考案することができ、もっとも複雑な文様構成で鮮やかな色彩をもった織部です。
・織部黒・黒織部
器の全体に鉄釉をかけ、器形が極端に歪んだ形ならば織部黒。黒をベースとしながらも、一部に白窓を設けて絵付けをするものは黒織部と区別されます。焼成中に窯から引き出し急冷することにより、鉄釉を漆黒に発色させるのは、瀬戸黒と同じ技法「引き出し黒」を用いています。
黒織部は轆轤成形のあと、大きく歪ませて意識的に飲み口をつくりだし、その上に鉄釉を掛け残した部分に鉄絵を描いたり、櫛目や削り目を入れるなどをしています。「黒織部」は「窓絵」と呼ばれる技法で、黒釉を掛ける時に「窓」となる枠をつくり、枠の中に鉄絵具で絵や文様を描き、その上に長石釉または灰釉をかけて焼きあげます。
*上記資料「志野と織部 All of Shino & Oribe」よりそれぞれ抜粋
他にも、連房式登り窯で焼いた志野を志野織部、銅緑釉を掛けることなく白地に鉄絵の文様を施した絵織部や、部分的に白泥をかけ伊賀焼では青緑色のビードロが用いられるところに鉄釉を流した伊賀織部、絵唐津に倣って作られた唐津織部など実に多くの種類があります。
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投稿者:よしはら | 日時:2017年5月17日 12:38
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